小説家・随筆家 深田 久弥

『日本百名山』とは、小説家・随筆家で、自らも登山家だった深田久弥が記した随筆集です。自身が登頂した経験から、「品格」「歴史」「個性」を兼ね備えた標高1,500m以上の山を100座、選んだもの。山の地誌、歴史、文化史、文学史、山の形のほか、自身の思い出などが綴られています。
「品格」とは、誰もが立派だと感嘆すること。「歴史」とは、昔から人との関わりがあったこと。「個性」とは、山容や伝統などに特徴的なものがあることだと、深田久弥はこの本の後記に記しています。そして、何より、「本人が登頂した山であること」が絶対条件だったそうです。

『日本百名山』深田久弥著 新潮文庫(2003)

写真提供:信州・長野県観光協会

『古い本によると、浅間山を北岳、蓼科山を南岳と呼んで、この二山を東信州の名山としている。両方とも円錐形の格好のいい山だから、昔の人の好尚にかなったのであろう。中仙道を下って北佐久の岩村田あたりまで来ると、千曲川の谷を差しはさんで、相対立したこの二つの山が旅人の眼を惹くのである。』

『蓼科山は俗に北八ッと称せられる連嶺の一番北の端に、一きわ抜きん出ている峰で、その余威は更に北に向って、次第に高さを落としながら広大な裾野となる。しかしそれは赤城山のようにスムーズな美しい線ではなく、幾らか不整形なので人々の眼はただその円頂のみにそそがれる。この円頂はどこから望んでも端正な形を崩さず、蓼科山が名山として讃えられたゆえんも、ここにあるのだろう。』

『もう三十年も前、秋の初め私は一人で大門峠から蓼科牧場へ行き、そこの牧場事務所で泊めてもらい、翌朝頂上へ向かった。蓼科高原という名は山の南の諏訪側に付せられているが、高原という感じはむしろ北の北佐久側の方にふさわしい。こちらは実に広大な裾を引いていて、その中に、協和牧場、蓼科牧場、赤沼平、御泉水などの、高原らしい風景が拡がっている。牧場といっても、畜舎があったり、乳をしぼったりする牧場ではなく、近在のお百姓が牛や馬を預けに来て、この高原に放し飼いされるのである。』

『牧場事務所からの登山道は、午前水を通過すると、原始林の中を真っすぐ頂上目ざして通じていた。急峻な代わりにドンドン高くなって、やがて尾根に出る。特徴のある円錐丘はそこから上である。森林が尽きて、大きな石がゴロゴロころがっているだけの円形の広地で、中央に石の祠が一つあるきり。(現在は小屋が出来たそうである。)秋風に吹かれながら、石ばかりの頂上で私は一時間あまり孤独を味わった。』

霧ヶ峰は八ヶ岳中信高原国定公園のなかほどにあり、車山をはじめとした山頂付近は下草刈りが行われていたために草原となっています。なだらかな斜面には夏ともなればニッコウキスゲをはじめとした高山植物が咲き誇り、八島ヶ原湿原などを散策するのも楽しいところ。冬はスノーシューを履いてトレッキングへ。初心者でも気軽に訪れることができるこの地の描かれ方として「遊ぶ山」というほど的確な表現がないと思わされます。

写真提供:信州・長野県観光協会

妙な言い方だが、山には、登る山と遊ぶ山とがある。前者は、息を切らし汗を流し、ようやくその頂上に辿り着いて快哉を叫ぶという風であり、後者は、歌でもうたいながら気ままに歩く。もちろん山だから登りはあるが、ただ1つの目標に固執しない。気持ちのいい場所があれば寝ころんで雲を眺め、わざと脇道へ入って迷ったりもする。当然それは豊かな地の起伏と広濶な展望を持った高原状の山であらねばならない。霧が峰はその代表的なものの一つである。

遊ぶ場所には事欠かなかった。霧ヶ峰の最高峰は車山であるが、それも骨の折れる山ではなく、ゆるやかな傾斜をのんびり登って行くうち、いつか三角点に達するといった風である。その細長い頂から、すぐ真向かいに蓼科・八ヶ岳の連峰が手に取るように見えた。殊に夕方、落日を受けた赤岳が、その名の通り赤く映えた姿は、美しさの限りであった。

夏の高原は、背丈ほどあるシシウドの白い花と、ニッコウキスゲ橙色で覆われた。私は外へ出る毎にさまざまの花を摘んできて、それを植物図鑑で確かめるのを楽しみにしていた。

暑中休暇も終り、登ってくる人も少なくなって、高原には、賑やかだった盛宴の後のような哀傷があった。あんなに旺んだったシシウドも醜く枯れて、そのあと薄紫の可憐な松虫草が一面に咲き乱れた。九月の初めずっと雨が続いて、ようやく晴れ上がった日、原へ出てみておどろいた。一帯の緑は狐色に変っていた。高原はもう薄の秋であった。

深田久弥 Fukata Kyuya(1903-1971)

石川県加賀市(旧大聖寺町)出身、小説家・随筆家であり、登山家としても知られる。第一高等学校(現東京大学)で文芸部、山岳部に所属。『日本百名山』(1963、新潮社)が讀賣文学賞を受賞。茅ヶ岳(山梨県)の山頂直下で脳卒中により死去。

参考文献:『日本百名山』深田久弥著 新潮文庫(2003)